憲法と法律の関係(Apeman氏の誤り・その2)

 前回の続きです。

『Apes! Not Monkeys!』
小室直樹って…」
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C646496243/E735228537/index.html

 ↑このid:Apeman氏のブログ記事の主題は、ロッキード裁判についての小室直樹氏の「嘱託尋問調書の証拠採用は反対尋問がなされていないので、違憲だ」との言説に対する批判・反論のようです。
 「小室直樹は間違っている」との結論の当否自体はともかく、Apeman氏は間違った法律知識を基に議論を展開している、というのが私が前回述べたことです。
 Apeman氏の言説をさらに見ていきましょう。

 上記ブログ記事のコメント欄で、Apeman氏は小室直樹氏の「嘱託尋問調書の証拠採用は反対尋問がなされていないので、違憲だ」の主張に対し、次のような反論を行っています。(問題の部分を太字にしました。)

出廷した証人に関しては言うまでもなく「反対尋問が可能」であり、現実に検察側・弁護側双方のほとんどの証人について反対尋問が行われてます。
他方、コーチャンらの証言は供述調書として証拠申請されているのだから、そこに「反対尋問」が問題になる余地はありません。刑訴法321条は反対尋問を経ていない供述調書を証拠採用してよい場合についての規定なのです。そこでは反対尋問がなかったことは前提になってます。したがって、渡部昇一小室直樹の議論は問題の立て方がそもそも間違っているのです。
(2010年6月3日, 12:56:52)

 違憲だ」との主張に対し、「法律の規定がある」との反論はありえないでしょう。
 「自衛隊は、憲法9条2項が保持を禁じた『戦力』にあたる。違憲だ」との主張に対し、「自衛隊法がある」と言って反論するようなものです。
 あるいは、「死刑は、憲法36条が禁じている『残虐な刑罰』にあたる。違憲だ」との主張に対し、「刑法に死刑制度がある」と言って反論するようなものです。
 Apeman氏はこのような反論が論理的に成り立つと思っているのでしょうか?

 被告人の反対尋問権の問題に戻ると、これの保障を規定した憲法37条2項前段は例外を許さない趣旨ではないと解されています。従って、場合によっては伝聞証拠に証拠能力を認めても違憲とはならないと解されます。
 この「違憲とはならない」とは憲法の規定の解釈の結果、そうなると言うのであって、法律の規定が存在するからそうなるのではありません。
 「法律の規定の存在は違憲でないことの確認である」と言うのなら分かりますが、「法律の規定があるのだから違憲説は間違っている」という主張は論理的に成り立ちません。
 上記引用の発言を読む限り、Apeman氏は、憲法と法律が上位規範・下位規範の関係にあるということを理解していないのだと言わざるを得ません。

 上記のApeman氏の発言に対しては、さすがに専門家と思われる人から適切な批判のコメントが寄せられました。
 これに対して、Apeman氏は上記発言の撤回・訂正は行わないまま、発言を少し変えました。

刑訴法321条については合憲とする最高裁の判決があるんだから、「反対尋問してない、違憲!」なんて幼稚な主張は通用しない。
(2010年9月19日, 14:04:38)

 この“議論”は、↓こちらのApeman氏のブログ記事のコメント欄へと続きます。

『Apes! Not Monkeys! 本館』
「自爆(追記あり)」(2010-10-08)
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20101008/p2

 そこでは、

この際だからこっちからも自称法律家氏に質問しておこう。
(a)法律家を自称するあなたは、刑訴法321条が憲法37条2項に反しないという最高裁判例があることを知っているか?
(b)そのような判例がある限り、ただただ「反対尋問を経ていない供述調書を証拠採用した裁判は暗黒裁判だ」というだけの主張には、裁判論としてはこれっぽっちも価値がないことが理解できるか?
(2010/10/10 15:12)

 さらに

(e)コーチャンらの尋問調書は刑訴法321条に基づいて証拠採用された(一審、二審では)ことを知っているか?
(f)刑訴法321条は公判に証人として出廷しない供述者の供述書を証拠採用することを許容していることは知っているか?
(a)法律家を自称するあなたは、刑訴法321条が憲法37条2項に反しないという最高裁判例があることを知っているか?
(g)そのような判例がある以上、コーチャンらの調書の証拠採用を(刑訴法321条との関連で)批判するには(i)刑訴法321条(ないしその一部)が違憲であることを新たに論じるか、(ii)コーチャンらの調書が刑訴法321条(1項3号)の要件を満たさないものであることを論じるか、いずれかを行なわねばならないことが理解できるか?
(2010/10/10 16:52)

反対尋問を受けていない供述者の供述者を証拠として採用することを許容している条文があり、その条文を合憲とする最高裁判例があり、その上でその条文に基づいて採用された供述調書に関してただただ「反対尋問を経ていないから違憲だ!」とわめいてもなんの意味もない。私が一貫して言っているのはこれなんだよ。
(2010/10/10 16:58)

 どうもApeman氏は、伝聞例外を許容した刑訴法321条の規定は憲法37条2項に反せず合憲だとの最高裁判例があるので、そのように刑訴法321条の規定が合憲だとの前提に立つ限り、個別事件における伝聞証拠の証拠採用についての違憲主張は成り立たないと考えているようです*1
 このApeman氏の主張は、↓こちらのブログ記事へと続きます。

『Apes! Not Monkeys! 本館』
角栄擁護論がダメダメな理由」(2010-10-12)
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20101012/p1

 けれども仮に法令自体は合憲だとの前提に立とうとも、それが憲法で保障された権利・自由を侵害するような形で適用した場合には違憲になることは十分にありうるものです*2
 伝聞証拠の問題で言えば、伝聞例外を許容した刑訴法321条以下の規定そのものは合憲だとしても、個別事件における伝聞証拠の証拠採用が、憲法が刑事被告人の反対尋問権を保障した趣旨を没却するものとして違憲になるというのはあり得るものです。
 また、刑訴法の伝聞例外について、特に問題になる検察官面前調書(321条1項2号)について、標準的な刑訴法の教科書には、次のようにあります。

「問題となるのは、捜査書類である検面調書の合憲性であるが、一定の厳格な要件の下では合憲と認めてよいであろう」
(田口守一『刑事訴訟法』〔第三版〕弘文堂、329頁)

「問題となるのは、後段の合憲性についてである。後段を合憲と解するためには、書面への反対尋問が十分になされることが条件となる。判例も、「これらの書面はその供述者を公判期日において尋問する機会を被告人に与えれば、これを証拠とすることができる」としている。」
(同書、329頁)

 このように学説は、検面調書について合憲限定解釈*3をした上で合憲だとしているわけです(最高裁判例もその立場)。
 従って、いくら刑訴法321条以下の規定そのものは合憲だとしても、個別事件における伝聞証拠の証拠採用について憲法が要求している解釈を行わなければやはり違憲となりうると考えられるのです。
 つまり、ロッキード裁判における嘱託尋問調書の合憲性の議論で問題になるのは、同調書の証拠採用が刑事被告人の反対尋問権を保障した憲法37条2項前段の趣旨に反するかどうかということなのであって、(憲法の下位規範である)法律に規定があるかどうかとか、その法律の要件を満たしているかどうかではありません。(勿論、法律の規定そのものが合憲かどうかだけが問題になるのではありません。)
 即ち、法律上の要件を満たしているかではなく、憲法上の要件を満たしているかどうかの問題なのです。

 Apeman氏は、憲法と法律の関係(憲法と法律が上位規範・下位規範の関係にあること)について、殆ど分かっていないようです。(少なくとも、その整理が頭の中で十分できていないようです。)

*1:Apeman氏は、最高裁判例を絶対視しているようでもありますが、勿論そのような見方にも問題があります。例えば、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一としている民法900条4号但書について最高裁判例は合憲としていますが、私は違憲だと考えているし、そう主張することには意味があるとも考えます。Apeman氏は、これについても「民法900条4号但書については合憲とする最高裁の判決があるんだから、『非嫡出子の差別だ、違憲!』なんて幼稚な主張は通用しない」と言われるのかも知れませんけど。

*2:このような適用違憲の手法を用いた裁判例として有名なものに家永教科書訴訟における杉本判決(東京地判昭和45年7月17日判時604-29)があります。杉本判決は「現行教科書検定制度そのものは違憲でない」としたものの「その運用を誤るときは憲法の保障する表現の自由を侵害するとのそしりを免れない」として、本件検定不合格処分について「教科書執筆者としての思想(学問的見解)内容を事前に審査するものというべきであるから憲法21条2項の禁止する検閲に該当」するとして本件不合格検定処分は違憲だと判示しました。Apeman氏によると、この家永教科書訴訟の杉本判決も「幼稚な」判決で「これっぽっちも価値がない」ということになり、「現行教科書検定制度は合憲なのだから、検定不合格処分を(現行教科書検定制度との関連で)批判するには(i)現行教科書検定制度(ないしその一部)が違憲であることを新たに論じるか、(ii)検定不合格処分が現行教科書検定制度の要件を満たさないものであることを論じるか、いずれかを行なわねばならない」とでも言うつもりなのでしょうか? 沖縄戦「集団自決」問題での文科省の検定意見に対しても同様なことを言うつもりなのでしょうか? 歴史修正主義右翼を批判しているはずのApeman氏が歴史修正主義右翼が大喜びするであろう論理を提供することになっているのは残念なことです。

*3:ある法令の解釈が複数成り立つ場合、Aの解釈を採れば違憲だが、Bの解釈を採れば合憲なので、Bの解釈を採る限りにおいて法令そのものは違憲とはならないとする解釈手法。