刑事訴訟における伝聞証拠の概念(Apeman氏の誤り・その1)

 Apeman氏と言えばネットの論客として知られる人であり*1、反・歴史修正主義という点で私と同一の立場です。そのような人を批判するのはかなり気が引ける所があるのですが、これほどひどい間違いだらけのブログ記事を書いてネットに公開している以上、仕方がありません。
 ということで数回に分けて、取り上げてみます。

 そのApeman氏のブログ記事とはこちらです。↓

『Apes! Not Monkeys!』
小室直樹って…」
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C646496243/E735228537/index.html

これは贈賄側であるロッキード社のコーチャン、クラッターへの嘱託尋問調書が証拠採用された件を指していっているのだが、2人は裁判に証人として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ないのである。

※このブログ記事の続きは↓こちらです。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20101008/p2

 問題になっているのは、いわゆるロッキード事件の刑事裁判における嘱託証人尋問調書の証拠能力についてです。
 さて、Apeman氏の上記記述ですが、「裁判に証人として出廷してはいない」のでしたら、その者らの供述は公判廷外での供述のはずです。その供述を書面化したものが公判廷に提出されたとしても反対尋問はなし得ません。そのように反対尋問をなし得ない供述証拠のことを伝聞証拠と言います。
 伝聞証拠は反対尋問権を行使しえないゆえにそれを証拠採用することは被告人の証人審問権を保障した憲法37条2項に違反しないかの問題が生じるとされます。従って、刑事訴訟法においても反対尋問をなし得ない伝聞証拠は禁止を原則としています(320条)。

 標準的な刑事訴訟法の教科書を見てみましょう。

「伝聞証拠とは、裁判所の面前での反対尋問を経ない供述証拠をいう。条文に即して定義すれば、公判期日における供述に代わる書面および公判期日外における他の者の供述を内容とする供述で、原供述内容をなす事実の真実性の証明に用いられるもの、である。例えば、証人Aが法廷で「友人のBが『Xの犯行を目撃した』と言っていました」と証言した場合、犯行目撃事実について原供述者であるBを反対尋問することはできないので、Aの供述は伝聞証拠である。このような「伝え聞き(hearsay)」の証拠であれば供述でも書面でも同じである。書面も、原供述者(書面作成者)に対する反対尋問をなしえない点では構造的に同じだからである。そして伝聞法則とはかかる伝聞証拠の証拠能力を否定する原則すなわち「伝聞禁止の原則」のことをいう(三二〇条一項)。」
(田口守一『刑事訴訟法』〔第三版〕弘文堂、321〜322頁)

 伝聞証拠原則禁止の実質的理由については同教科書に次のようにあります。

「伝聞証拠はなぜ禁止されるかというと、「伝え聞き」証拠では真実かどうかの点検ができないからである。
   (中略)
そもそも、供述証拠は、ある事実を「知覚」し、それを「記憶」し、それを「叙述」するという過程を経て証拠化されたものである。しかし、知覚の過程、記憶の過程、叙述の過程のそれぞれに誤りが介入しうる(見間違い、記憶違い、言い間違いなど)。そこで、このような供述証拠の各過程の誤りをチェックするのが反対尋問である。」
(同書、322頁)

 この伝聞法則(=伝聞証拠禁止の原則)と憲法の関係については、同教科書は次のように述べています。

「そして、被告人には証人審問権が保障されている(憲三七条二項)。この証人審問権の保障は、単に法廷に出てきた証人に対する反対尋問権を保障したのみでなく、およそ供述証拠を提供する者一般が証人というべきであって、その証人に対する反対尋問権を保障したものとみなければならない。伝聞証拠に即していえば、原供述者に対して反対尋問をする権利も保障されている。したがって、このような反対尋問権を行使しえない伝聞証拠に対して証拠能力を認めることはできない。このようにして、伝聞禁止の原則(三二〇条)は憲法に由来する原則ということができよう。」
(同書、322〜323頁)

 以上のとおり、「裁判に証人として出廷してはいない」のなら反対尋問が不可能なのですから、「反対尋問が問題になることなどあり得ない」どころか、その者の供述(即ち公判廷外での供述)を証拠として扱って良いかが被告人の反対尋問権保障との関係で大きな問題になります。被告人の反対尋問権の保障が問題になる典型的な場面です。

 まあ、憲法37条2項前段の刑事被告人の証人審問権の「証人」の意義について極端に狭く解釈し、証人として法廷に喚問された者のみだとする見解もなくはないですが(但し、この見解を採ったとしても公判廷外供述の証拠採用は憲法上の問題は生じなくても刑事訴訟法上の問題は生じえます。)、通説はおよそ供述証拠を提供する者一般だとしているのですから、「反対尋問が問題になることなどあり得ない」とのApeman氏の記述は明らかに誤りです。せめて、「被告人の反対尋問権の保障が問題になるが、これについて自分はこれこれこう解釈するので、この場合は違憲とはならないと考える」と言って欲しいところです。
 問題になっている嘱託尋問調書の証拠採用は合憲だとする結論自体は構いませんが、「裁判に証人として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得ない」と言ってしまったのでは、刑事訴訟法の伝聞証拠禁止原則の意義や憲法の刑事被告人の反対尋問権保障の意義について全く理解していないということになります*2

 その他、Apeman氏はブログ記事の中で

必要に応じて弁護側が取り調べにあたった検事なり警察官を証人として申請することによって実質的な反対尋問的効果をあげることができるわけである。

と述べていますが、そのような場合に伝聞例外が認められるとの見解は聞いたことがありません。
 もし、原供述者に反対尋問しなくても、原供述を聴いた者(取り調べにあたった検事なり警察官)を反対尋問すれば原供述者に反対尋問するのと実質的に同じだとしてしまうなら、伝聞証拠禁止原則も刑事被告人の反対尋問権保障も意味がなくなってしまいます。いくらなんでも無茶と言うものでしょう。

要するに、反対尋問的性格の問いにさらされていない調書が証拠採用されることは日本の裁判では異例でもなんでもなく、それをもってしてロッキード裁判を「憲法違反」などというのはバカとしか言いようがないのである

しかしこの裁判を「反対尋問の権利が奪われたので憲法違反だ」とこの期に及んで主張するのは、繰り返すが、バカだけである。

 私自身は、ロッキード裁判における嘱託尋問調書の証拠採用は、伝聞例外にあたるものとして憲法違反にはならないと思っています。しかしながら、憲法違反の主張を「バカとしか言いようがない」と決めつけるのは如何なものでしょうか?
 まあ、「バカとしか言いようがない」「バカだけである」はApeman氏の主観的評価ですから勝手でしょうが、この問題についての憲法の教科書の記述を引用しておきましょう。

ロッキード事件丸紅ルート判決は、アメリカ合衆国において現地の証人に対し、訴追免除の保障を与えたうえで得られた嘱託尋問調書の証拠能力が争われたものであり、被告人側に証人に審問する機会が一切なかった点でも問題を含んでいた。
(長谷部恭男『憲法』〔第四版〕新世社、269頁)

 さらに、ロッキード裁判の最高裁判決*3における大野正男裁判官の補足意見も引用しましょう。

「判示第一についての裁判官大野正男の補足意見は、次のとおりである。
 私は、本件嘱託証人尋問調書の証拠能力を否定する法廷意見に同調するものであるが、その理由とするところについて、私の見解を補足しておきたい。

     (略)

 二 しかしながら、捜査の端緒ないし捜査資料の収集として右のごとき嘱託証人尋問をし得るということと、その結果得られた資料を我が国の刑事裁判上事実認定の証拠とすることができるということとは別個の問題であり、異なった観点からの考察が必要である。
 手続の公正と証人に対する被告人の審問権を尊重すべき刑事裁判の本質的機能を考えるとき、本件嘱託証人尋問調書の証拠としての許容性は、以下の二点において否定されるべきである。
 一は、刑事免責を与えることによって自己負罪拒否特権を消滅させて証言させるというような我が国において認められていない制度によって得られた資料を、我が国の裁判において事実認定の証拠として採用することは、明文の規定によらないで、我が国内においても刑事免責制度を認めるのと同様の結果を招来することになりかねず、公正の観念に反する。この点は法廷意見の述べるところであり、私も同意見である。
 二は、本件嘱託証人尋問調書を事実認定の証拠とすることについては、被告人の反対尋問権及び対審権の保障という面から、問題があるといわざるを得ない。
 本件嘱託証人尋問は、東京地方検察庁の検察官の申請に基づく東京地方裁判所裁判官の嘱託により、被疑者及び弁護人の立会いなしに、すなわち、その審問を受けることなしに、カリフォルニア州中央地区連邦地方裁判所において、東京地方検察庁の検察官が列席して行われている。また、本件において、証人とされたC、Dはいずれも、もともと来日の意思を有せず、我が国の裁判所に証人として出廷する意思のないことを明示していた。
 嘱託証人尋問の根拠となる刑訴法二二八条二項は、第一回公判期日前の証人尋問に被告人、被疑者又は弁護人を立ち会わせるかどうかを裁判官の裁量にゆだねている。この規定が、反対尋問権を保障した憲法三七条二項に反しないとされるのは、反対尋問権は受訴裁判所の訴訟手続における保障であって捜査手続における保障ではなく、刑訴法二二八条は検察官の強制捜査処分請求に関する規定であって、受訴裁判所の訴訟手続に関する規定ではなく、その供述調書はそれ自体では証拠能力を持つものではないからであるとされている(最高裁昭和二五年(あ)第七九七号同二七年六月一八日大法廷判決・刑集六巻六号八〇〇頁)。
 しかし、前記両証人にっいて、我が国の法廷において、被告人及び弁護人がこれに対質して反対尋問をする機会がないことは、嘱託した当時からあらかじめ明らかであったのである。もっとも、嘱託証人尋問に際しては、証人の依頼した弁護士である代理人が在廷していたが、これは証人の法的利益擁護のためであって、場合によっては共犯者たる証人と利害が対立することのある被告人の法的利益を擁護するためのものではないから、これをもって反対尋問権の保障に資するものであるとは到底いえない。
 このように、当初から我が国の法廷における被告人、弁護人の審問の機会を一切否定する結果となることが予測されていたにもかかわらず、その嘱託証人尋問手続によって得られた供述を我が国の裁判所が証拠として事実認定の用に供することは、伝聞証拠禁止の例外規定である刑訴法三二一条一項各号に該当するか否か以前の問題であり、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ事案の真相を明らかにすべきことを定めている刑訴法一条の精神に反するものといわなければならない。

*1:戦争犯罪・戦争責任に関するブログhttp://d.hatena.ne.jp/Apeman/が有名です。

*2:嘱託尋問調書の証拠採用は合憲だとするなら、それは伝聞禁止の“原則”に対する“例外”なのですから、なぜその場合に例外が認められるかの論証が求められます。

*3:最大判平成7年2月22日刑集49-2-1http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319115515702127.pdf